犬連れて散歩永遠の小春日

 

いつもの通勤路の坂道を下って大通りに出ると、お座りしている犬が目に飛び込んできた。

若い女性がその犬の落とし物を始末している。その雑種ぶりがすごい。中型犬で顔は柴犬を長くしたくらいの白黒ムラムラ柄で、体は茶黒白のまだら、しっぽの毛は長くてくるっと巻いている。一体何種類の犬の遺伝子が混じっているのだろう。その犬がもう全身で「すまない。」といっている。僕のXXXを掃除させちゃってホントにゴメンねという顔である。大駄犬であるがピンクグレイの服を着ている。可愛がられていることは明らかだ。心にポッと光が灯ったような気分になった。犬は素直に感情を表す。猫も犬のようではないが全身で飼い主に訴える。うちの猫は嫌いな餌のときは、これ見よがしに後ろ姿を見せつける。「うしろすがたのしぐれていくか」という山頭火の句をいつも思い出す。

 人間世界は、知識も感情もスマホに移行させて久しい。それにコロナが追い打ちをかけて、人恋しさが募るばかりである。感情を素直に表す機会が失われている。人類は進歩しようという飽くなき本能に導かれて発展し続けているのだと思うが、この方向で間違いないのだろうか。電車に乗れば8割の乗客がスマホを見ている。周りの人など気にしていない。人間は一人一人が星で、努力しないと他の星とわかりあえないと思うのだけど。今はその手段がスマホなのだ。これでいいのかと疑問を持った時、人は動物に救われる。小細工しない感情を思い出させてくれる。気持ちを揺さぶってくれるのが動物だけじゃなくて人間もそうあってほしい。この犬のことも文章書くくらいなら写真撮って載せればいいと言われるかもしれない。ネット上には可愛い動物の写真があふれ返っている。それは「あ、かわいい。」で終わってそれだけである。コラムのネタにはならないのだった。