吾亦紅猫の柩に投げ入れる  

f:id:gonbey:20180707222213j:plain

小伝馬町の猫のシェルターで子猫をもらい、帰宅して籠を開けたら、そそくさとソファの下に潜り込みまる1日出てこなかった。翌日の夜テレビを見ていると、すつと現れて手を伸ばし私の顔を舐め回した。「ここんちの子になるんだね。」というあいさつだった。あれから14年、十兵衛は逝ってしまった。抱いている私の目を薄緑の目で穴が開くほど見つめていた。リンパのがんと言われて2年半、よく頑張った。初めて猫を見送るわけじゃないのにこの無聊をいかにせむ。思い起こせば十兵衛の病気がわかったのとピアノを再開したのが同じ2年前の4月だった。私が練習していると側にいて、30分もすると、ゴハンにしろ、と鳴くのだった。その全然上達しないピアノでチャイコフスキーの「秋の歌」を弾く。センチメンタルで今の気分にぴったりである。チャイコフスキーって演歌っぽいのよね、というか演歌はチャイコフスキーの影響を受けていると思うのは私の独断である。子供の時に最初に聴いたLPレコードは「くるみ割り人形」だった。うちにあったくらいだから当時クラシックの入門曲としてポピュラーだったのではないだろうか。戦後多くの人が満州から引き揚げて来たのでロシア文化が近かった。ロシア料理の店、ロシア民謡酒場、子供のころよく連れていかれた。ステンカラージン、ボルガの舟歌なんかよく歌っていた。その哀切を帯びたメローディーは日本人作曲家に影響を与えたと思うのだがどうでしょう。チャイコフスキーロシア民謡はちがう、ま、そうなんだけど、ロシア人だから。

とにかくもう少し間違えないで弾けるようになって、気持ちの通じていた十兵衛に手向けたい。