芸術も美術も技なり夏に入る

ブログ書かなきゃと思っているうちに十連休に突入し、なんだか時間の感覚がずれてしまった。というか、もう年齢を感じるわけで、世の中が日に日に遠ざかって見えるような気がする。絵も現実も渾然一体となり、これはこれで感じ悪くはない。

連休は猫の看病とピアノの練習で過ごしこれに退屈しないのが我ながら不思議だ。

ピアノってとにかく達成感のために練習するわけでこれがえらく手強い。一つのフレーズを納得いくように弾くにはかなりの時間が必要だ。ひたすら反復するしかない。50年前に止めないでずーと続けていれば違う人格が形成されたのではないかと思う。

で、再開して1年。ずいぶんクラシックを聴くようになり面白くて仕方がない。

絵を見ていてもそれに合ったメロディーが浮かんできたりするので、もっと早く知っていればよかった。印象派の時代は画家と音楽家がずいぶん交流していたみたい。

確かフォーレシスレーが一緒に英国旅行に行ったとか、そう思うと絵と曲の共通点が見えるようで興味深い。

今はアイドル歌手が現代美術家を目指す時代で現代美術という言葉が一人歩きしているように思える。ま、そんなものかもしれないが美術というのは美しくあって欲しいわけ。

批判とかアレゴリーなら別の言葉が欲しい。コンテンポラリーが妥当かな。

アートと芸術がどうも同じと思えないのです。音楽芸術ともいうが言いたくない。音楽という言葉は素敵だから。絵も絵と言い切って、絵を描く人は絵師に統一するのが良くないだろうか。なんだかボケ老人の戯言のようでシツレイ。