桂ゆき ある寓話

東京都現代美術館に「桂ゆき」=ある寓話=を見に行く。
桂さんは78歳で亡くなられて今年が生誕百年なのだ。私は桂さんが65歳くらいの時知り合って亡くなるまで親しくしていただいた。桂さんがガラス絵協会の会員で絵をいただくようになったご縁だった。久しぶりに見た作品群であったが、入ってすぐの4センチ角くらいのモノクロームのコラージュから引き込まれた。18才頃の作品だが生涯のテーマが暗示されている。そのちょっと後の作品は、こくのある草間弥生のようである。「弥生ちゃんは私が昔やってたような仕事をしているのよ。」と桂さんから聞いたことがあるが、確かに、と思う。写実が実に上手くて、描く部分描かない部分、作品の中で緩急をつけている。こんな画家は珍しいと思う。風刺を生かす、例えば帚を持った女性像は、帚と腰に巻いた荒縄は徹底的に細かく描き込み、女性の本体は切り絵かと思うくらいぺらっと描かれている。これは女性の主体のなさとか認知されていない立場と、その女性の仕事を鮮やかに対比させているのだろう。画風はその時々変わるが基本は「生きている」ことの矛盾と賛歌だと思う。桂さんはことあるごとに「芸術家なんて、ちゃんちゃらおかしいわ。」と言っていた。今回展覧会場で何度もその彼女の言葉が聞こえて来た。桂さんの絵は洒落たサロンに飾る絵ではない。一点をじっと見て彼女に近づきたい。地球自体を含めて生きているものはみな同じだという気持ちがふつふつと湧いてくる。桂さんとの思い出は沢山あるのだが、鴨居羊子さんと一緒に香港に行ったのは忘れられない。父が絵描きさんと香港に行くからと、誘ってくれて、じゃ私も絵描きさん誘っていい?とお二人に声をかけたのだったが、まさか二人とも参加とは思っていなかった。初対面の桂さんは鴨居さんに「ねー、私あなたのことをとても尊敬していたの。」と言い、恥ずかしがり屋の鴨居さんは黙ってバスの中で桂さんのスケッチを描いた。花を持っているヌードの桂さんだった。探せばどこかにあるはずだ。リージェントの部屋の巨大ベッドに一緒に寝転がってテレビでデビッドボウイとドヌーブの「ハンガー」という吸血鬼の物語を夜更けまで見た。それが案外面白くて今も良く憶えている。桂さんがニューヨークの大金持ちにプロポーズされて大きなルビーをもらい、おへそに貼付けて日本に持ち帰った話とか、ジュネに連れて行かれた白ワインが溲瓶に入っている倒錯的なレストランの話とか、書き出したら色々思い出は尽きない。今回展覧会の経歴には載っていなかったが、横山大観の画塾に行ってたと聞いたことを書いておく。まだ小さくてビロードの服を着て大人の中に混じって絵を描いたら、大観に「そこのお嬢ちゃん、見所がある。」と声をかけられて暫く通ったそうだ。桂小五郎の血縁の良家のお嬢さんだったことを思わせるエピソードだと思う。