始めしは北京五輪の年なりき俳句うまくなっているのか

まる4年が終わる句会。上手くなるとはなんなのか。絵であれば誰それのような絵を描きたい、というのはイメージしやすい。音楽であればまずはテクニックを磨かねばならない。俳句はたった17文字の詩である。575と言葉を並べれば誰でも作ることが出来る。しかし簡単なものの奥を探るのは難しい。一句それぞれがその人そのもののように思う。なんとか先生のような境地に達したい、と願ってもそれぞれ生きている立場というものがあるわけで、生き方を模倣するということも出来ない。せめて先人の句を沢山読んで勉強しましょう、ということに落ち着くのだろうか。私は今年は選に全力を上げたいと思っている。選が大事なことは先生に初めから言われていることだが、最近やっとその重要性が判って来た。誠に知識と理解は違うものだ。語学でも聞けないと喋れない。それと似ているようにも思う。独りよがりに自分の句を作ることばかりになってはいけないんだわ、きっと。
先達もきっと同じような道を辿ったのじゃないかと思うのだがわからん。




縞猫の眉間のMもかじかめり


田代島のほくろちゃん。




先生が しまねこのまゆまのMもかじかめり と読んだ。私はみけんと思っていたのだが、まゆま、のほうがずっと良い。俳句は声に出して読む詩であることを強く思った