行き先のわからぬ道に落椿

思索するニャ。



電車に乗って初めてのところに行くと、行きの時間は長くても帰路は短く感じる。経験したことは短く感じるのだ。長く生きると同じことの繰り返しが蓄積されていく。緊張と冒険がどんどん減っていく。すると時間は矢のような速さで過ぎていく。時間を止めることはできないが、ここが芸術の出番である。私の場合コンサートが面白いと感じることは滅多にない。滅多にないがチャンスがあればなるべく行く。期待しない時に素晴らしい演奏に出会うことがある。高名な演奏家と知らずに聞いた、チェロのミシャ・マイスキーには圧倒された。チェロに開眼したのはその時だ。昔からの父の知り合いの歌手の歌は何度も聞いていた。特に感動したことは無い。だけど車椅子を横に置いての最後のコンサートで、私は涙が止まらなかった。今でも思い出すと震えるくらい絶品の「荒城の月」であった。一期一会のナマモノには力がある。それは永遠の時間になる。ナマモノに当たると、それが基準となるので、以後見聞きすることのよしあしを判断出来るようになる。そうやってじわじわ自分の感性を上げていく。それに費やす時間は、日常とちょっと違って死ぬまで続く楽しみなのだ。音楽を例に取ったが、絵画、文学、思想いずれも深く高い。好奇心こそが時間に対抗できる。私は俳句を始めて来月で10年目に入る。俳句を通すことによって、見えてきた風景が違う。この先何を見せてくれるのか、興味は尽きない。芸術なんて何の足しになるのか、と疑うのは愚かなことだ。