アントニオロペスガルシア続き

昨日は下書きのつもりが公開してしまったのでつづき。

若い時の輝きを持続するのは難しい。(それを直感的に理解していたのがピカソじゃないかと思うのだが。)それでロペスは徹底的に写実の道を選ぶ。最後の部屋は男女のリアルなブロンズ裸像だ。これを作っている時はピグマリオンピノキオの作者の気分だったろうと思う。実際のヌードの人物であれば向こう側の自意識も感じるが、彫像であるゆえに一方的に見ている自分にいろいろな思いがブーメランのように戻ってくる。見ているのがきまり悪くなってきた。制作場面の映像も流されていて頭部だけで2メートル近くありそうな彫像もあった。実物を見てみたい。昔ナポリの美術館で小さな大仏ほどのギリシャ時代の女神像を見た。すばらしかったわ〜。これを見ても現代の彫刻家は彫刻を続けて行けるだろうかと本気で思った。リアルを数等倍して行くというのは神に近づいて行くような創造行為であろうと思われる。話がずれちゃった。私は稚気のある作品が好きで、それはある種のロリコンみたいなものかもしれない。成熟したものがわからないのかもしれない。若い盛りはなんだって可愛くて美しい。その盛りは短い。それでもなんとか自分の納得がいくように残りの時間を生きて行く。そのために格闘する、そんなことを考えさせてくれるのが芸術なのだろう。「天上の青」もそうだった。エロスとタナトスアガペー、というとわかりにくいけどこの小説読むと理解出来るのだった。