枯れるには枯れる美学があるはずだ


ハハハ、還暦になったらなんだかすごい開放感である。
私は60台というのにフィットしているようである。50台はなんだか中途半端で坐りが悪かったわ。60といえば押しも押されぬ老人の序の口だ。シルバーシートにだって堂々と座るのだ。私は昔からあまり考えが若くなっかったように、今思い当たる。「新潮45+」なんて創刊の時は30才くらいだったけど愛読してた。内田百間とか小島政二郎とかずーっと好きで、村上春樹とかにヨワイのは、爺臭いというか婆くさい好みではなかろうか。大勢でいるより、どちらかといえば一人の方が好きだし、パーティーなども苦手だ。そーいうふうには思われていないかもしれないが、60になれば嫌いなモノは嫌いと言っても老人の偏狭と思って許してもらえるのではないか。ホントにね、こんな風には思っていなかったのよ。みんなイヤダイヤダ還暦だ、というので私もそんなものかと思っていたけど、ちがうのよ〜〜〜。と声を大にして言いたい。私のようなヒトも大勢いるに違いないのだ。昔はよく「老人振り」という大人がいたものだ。男性には今でもいるが(わが社の編集委員などはその典型である)女性は少ない。「女はいつまでも若く美しく」というとんでもない呪縛にがんじがらめになっている。ここから未踏の地。アンチアンチエイジング。侘び寂びてかっこいいばあさんになるべく日々生きたいわ。