生んでくれてありがとうママ終戦日

 今日は母の誕生日だ。母は誕生日が終戦日になったことをずーっと嫌がっていた。両親はハルピンからの引き上げだから大変な苦労をしたし、関東軍が民間人を置き去りにしていち早く日本に帰ったこと、終戦直前にロシアが参戦したこと、敗戦を終戦と言い換えて来たこと、全てに怒っていた。両親が靖国神社に行かなかったことは前にも書いた。そんな両親の元で育ったのだから、私も国というものには常に猜疑心を持っている。日本って基本的に棄民政策なのじゃないかと疑っている。現在の解決に向かわぬフクシマを見ていてその思いがますます強くなる。なんとかしなければ明るい未来は来ないと思う。昨日地下鉄で前の座席の老人が靴を脱いで両足裸足になり脱いだ靴下を顔に近づけ臭いを嗅いだ。人前ですることであろうか?昼食に近くのそば屋に行ったら、60代の女性が携帯で喋りながら蕎麦をすすっている。それも延々と話している。高級店なのだよ。もう先が見えている老人がこんなことでどうするんだ。こーいうのを見ていると内田百ケンとか熊谷守一とか隠棲の気持ちが実感として迫ってくるわね。ダメな大人が若者を云々してはいけない。とっくに老人は若者に見捨てられてると思う。なんたって棄民体質なんだから、日本人は。


絶望するにふさわしい日なり終戦


怒りの発光体。




明日からがんばろう。