生御魂とて着るものに迷う朝

 急に秋が深まり、何を着たらいいか迷う季節である。
毎年おなじみの悩みが、六十七年も続くとは思っていなかった。根本解決を目指して、昨年の今頃の日記に「今日着たもの」をイラストで描いておいたのだが、今見ると着たくないものが色々ある。一年で好みが変わるんだと発見である。しかし去年着たけど今年着たくないものは、去年も気が進まずに着たものであることもわかった。今更こんな事がわかってどうする、と思うが、年をとることは賢くなることではなく、場数だけが増えることなのだ。
 私は中学高校時代、両親が仕事で札幌に行き、東京の留守宅で祖母と暮らした。祖母はおしゃれな人で和裁が上手く、人形の着物、夜具一式、チャチャッと縫ってくれた。終戦までハルピンで暮らした人なので、とてもハイカラでもあった。私と祖母は五十才年が離れており、子供の私は祖母を、終わった人、と考えていた。私の着ているフリルの沢山付いたブラウスを見て、「おばあちゃんも昔、そんなの着てたのよ。流行は繰り返すわね。」と言われて、年寄りが何を言う、と、心の中で思ったのを覚えている。現在、私はその当時の祖母の年頃である。祖母は祖母で、私が着るものを関心持って見ていたのがわかる。まー、不細工な子だけど綺麗なもの着ればましだ、と思ったかも。あ〜あ、邪険な孫でごめんなさいと謝りたい気持ちでいっぱいだ。歳を重ねると、年長者が何を考えていたのかわかるようになる。20代でアルバイトをしていた時、そこの社長を訪ねてきた女性が「ねー、青山に3億で土地が売りに出ているの、どうしようかしら。」と相談しているのを、お茶を出しながら聞いて、大人になったらこんなことも考えるんだ、と印象に残っているが、その人たちの年齢も、とうに越えた。フリルのブラウスも3億円の土地も関係なく今に至っているが、時代時代で、すれ違った人たちが、何を考えていたのか今はわかる気がする。年を重ねるのも面白いことだ。


暖房所望にゃ。