梅雨晴れや老眼で読む少女文学

小公女に引っ張られて「少年少女世界文学全集」を何十年振りかで読み返す。子育てすれば再読する機会もあっただろうが新鮮だった。あとでカバーを見れば「アメリカ編」「フランス編」と国別編集になっている。アメリカ編の「小公子」「小公女」は作家が同じこともあるが素直な成り行きである。小さなフォンテルロイに心洗われるようである。小公女は、母も好きだったに違いない。私の最初の犬はベッキーという名だった。ベッキーレベッカの略なのね。さてフランス編、「家なき子」これはこんな波瀾万丈の話だったんだ。メチャクチャと言いたいような筋立てだが、血湧き肉踊り最後まで一気読み。「愛の妖精」は双子が同じ女性を愛したら、こーいう結末かね、とフランス編の方がひねりを感じた。セーラの屋根裏部屋が隣人のインド人のお陰で居心地良く美しくなっていくのは今読んでも嬉しいのだが、子供の時程はときめかぬ。あれから50年どれだけの布を買い、家具を買い小物を買い込んだことかと思えば、むべなるかな。で、どの話も最後は大金持ちになってめでたしめでたしなのだ。こーいう作品が、団塊の世代が過ごした高度成長期の支えになったのかもしれない。欧米に憧れる気持ちもしかり。
 しかし物語の楽しさを久しぶりに堪能した。あと30冊くらいあるから楽しみだわ。