妄想を呼ぶ隣国は真冬かな


 今年はまさに正念場だった。何年も何年も考えて来たことを実行すると決めたのは、来年の大行事を催行する金がなかったことと、70歳を自由になるリミットとしていたからである。私は性来音楽や映画のような芸術を愛している。私の運命は過酷なものであったが、あるときから私はこの立場を最大限利用して自由になることを考えるようになった。外国人と交流することもそのひとつであったし、その為には誹られるような行動も取った。原爆を持ったのはブラフのつもりであったが、思った以上に効果的なのは愉快だった。民は満足な暮らしをしていないとも言われるが、私はなるべく人から理解されないように、本当の私を知られないように注意深く行動して来た。それは完璧に成功して私は「キチガイ」と見られるようになった。今年になって、私は何度も倒れた。足を引きずり表情を動かさないようにしそして表舞台から3ヶ月姿を消した。事実上私は2ヶ月前に死んでいる。それは側近の人間しか知らない。私は遺書を書き隣国の大統領の誕生日に死んだことを発表するように指示した。私は調達した遺骨だけを残して密かに出国した。今はスイス銀行の口座を持って南の島にいる。2ヶ月かけて整形し日焼けして髪は丸坊主にし10キロ減量した。健康にはなんの問題も無い。私は再生した。私は私の本来の人生をスタートする。