足るを知る時はいま

東京おぼえ帳 (ウェッジ文庫)

東京おぼえ帳 (ウェッジ文庫)

 


 7月3日の日経文化欄、北村薫氏の「蘆江の鞭」から引用する。 
 東京名物のひとつに太々餅という汁粉屋があった。その主人が老いて床につき、先の見えた時、息子たちにいった。「おれが死んだら店をやめろ」驚く息子たちに向って、老人は聞く。続けたいというならどういう料簡でやるつもりだと。息子たちは答える。「うまいものを作って安く売ります」ところが、老人は首を振った。「だからいけねえ、止めろというんだ」では商売人の心掛けるべきことは何なのか。老人によれば、店は勿論、料理場、台所、不浄場の隅々、障子のさんの上まで散りひとつ落とさずにおくことだという。只それだけでよい、食べ物のつくり方のうまいまづいはそれからあとのことである。「お前たちにはとてもそれがやり通せようとは思はれないから、この商売はやめろというんだ」固く言い渡して亡くなったが、息子たちは只一片のお説教と聞き流して商売を続け、やがて商売替えをすることになった。北村氏はこの文章に背をしたたかに打たれたような気になり、しばらく動けなかったと結んでいる。人間生まれて死んで行く間、何を大事にするべきか、ということがなんと簡潔にかかれているのだろう。生まれて来たこの場を大切に大切にするという教えなのだろう。これが明治の話しである。それから140年我々はどのような道を歩んで来たのか。311の後となっては振り返るのも怖い。先日の新聞で京都大学の原子炉工学の名誉教授が、「私は核燃料はすべて原子炉格納容器の中にあると考えていた。使用済み核燃料が格納容器の外にあるとは福島の事故まで気づかなかった」とインタビューに答えているのに驚いた。その発言の主旨は、もともと原子力は日本に無かったので、どういうふうに使用すべきかという倫理観が形成されていなかった。まず平和利用するという法規制ありきでお上が決めたものを守れば良いという教条主義に陥り、その結果自分の専門外の所には疑いを持たず縦割り横割りが進んでしまった、ということなのだ。自分の持ち場の隅々まで目を凝らすことが出来る範囲を人間は越えてしまった。原子力を制御するのは、現在はまだ神の領域だということだ。バカな議論をしている場合ではない。急いで強くブレーキを踏むべき時なのだ、だって既にバンパーにぶつけているんだから。
 この文章が載っている「東京おぼえ帳」平山蘆江著を早速買って読んだ。 明治生まれ戦後までを生きた作家は、みやこ新聞の花柳欄を担当していたということで、当時の芸能欄とでもいうのか、芸者、演劇、寄席、相撲が綾なす当時の東京の様子を活写して大変面白い本でありました。

今月の社報に書いた文ですが、本当に311はなんであったのかよく考えなくちゃいけないと思う。