托鉢の僧春の雑踏に

メトロの出口で托鉢している。ときどき見かけるけど、はてな??という気持ち。その私の疑問に応えるように、隣を歩いている人が奥さんに向かって「人の施しを受けるのも修行なんだよ。」と言っている。なるほどね〜。前に聞いたことがあるように思うが、実際の場面で聞くと、素直に納得できる。それに、このことは大変重要な意味を含んでいると思う。最近読んだ介護についての話し。(原典が出なくてすみません)
「今、介護をしている人たちは、ダブルスタンダードで生きている。つまり親の介護はするが、自分は介護されたくないということだ。」自分の弱みを見せたくない、ということだと思うけど、そりゃ、私だってソー思っているけど、そうはいかないわよね。強いだけでは生きて行けない、っていうじゃない。強い人は可愛くない。(お洒落な人も可愛くない場合が多い。)人の好意に甘えるというのは重要なことだと思う。自分の弱さを知る努力をするべきなのよね。一人では生きて行けないんだから。甘えてもらった方だって生き甲斐を感じるわけだから、それも施しなのだ。猫を見よ!


春の猫甘えるだけで生きている



念を入れて甘えよう