ボタンとひも

う〜ん、師走が目前だ。そろそろ気をとりなおしてブログでもせむ、と思う暖冬の初冬ですが、勢いがつかないので、先月の社報の原稿を転記。読んだ人ごめん。

 私は手先が不器用だ。それでちょくちょく着物を着るようになって苦労の連続であった。だってこれを読んでいる皆様。今身に付けていらっしゃるものから、ボタン、ジッパー、ホック、ゴムを取り除いて着ていることができますか?
着物を着ている人以外は無理なはずです。逆にいうと着物ってヒモだけで成り立っているのです。
不器用でヒモが上手く結べぬ、などとは言ってられない。しかし私は60年近くヒモのお世話にならない衣服生活を送って来たのだ。
学生時代には毎朝セーラー服のリボンを結んでいたから蝶結びは目をつむっていても出来る。だけどそれ以外の結び方は手順として理解していない。帯結びの本なんか読んでもチンプンカンプンである。
それと比べると洋服は誰が着ても同じように着ることができる。それは先に書いたようにボタン、ジッパー、その他できっちりと構成されているから。洋服は形は様々でも着る手順がハッキリしていて、それに従えばきちんと着られる。
一方和服の着方は相当に個人差があるように思う。だって外側のカッコさえそれらしく見えてれば良いのだ。そしてどう着ようとデザインはひとつしか無いのだ。今度のスカートは膝丈にしようとか、ワンピースにしようとか、洋服だったら一番大事なことだが、着物には色と素材の違いしかない。
これは文化の差なのだなー、としみじみ思う。西洋の論理的な考え方。形を大胆に改革することを恐れない。そのためのルールづくりを重視する。ボタンのかけ違いで誤解が生じた、という。これは擦れ違ってしまった状況をわかりやすくあらわすたとえだと思う。一方日本の談合体質。「この案件にはヒモが付いてる」などという言葉が表すように相当グレーな雰囲気を帯びる。ボタンとヒモはかくも違う。
 それで着物ですが、習うより慣れろ、なのよね。シュミレーションを重ねた結果帯なんて巻いてあれば良い、と思うに至った。着物というのは日本人にとって慣れてしまえば楽なものだろう。最難関の帯だってお太鼓部分に何でも畳み込んでほどけないようにさえすれば良い。。談合して大枠は決めて細かいことは後で、という感じである。肝心なのはヒモがほどけないようにすることなのだった。
 まーこれは似合うとか着こなすとかいうこととは次元が違う私のゴタクではあります。小奇麗に年を取る切り札に、日本人には着物があったんじゃないか、と思っている次第です。



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