梅雨寒や不器用な手に針を持つ


幸田文 きもの帖

幸田文 きもの帖


 歯医者の帰りに本屋に寄る。いつも行く本屋とは違った品揃えで目新しい。エッセイのコーナーに、この本があったので買った。幸田文を好きでも嫌いでもないが歯が立たない人のような気がする。文章の格調も高いし、文豪の娘である。それでこの本を読んだ後だったら、キモノ着なかったかもしれないと思った。キモノというのは自分で縫い上げることが出来て、初めて着こなせるものなのだ、と書いてあるように思われる。50年前、中学の教科書には浴衣の縫い方が載っていたが、実際に縫ったのはパジャマだった。私の学年の2、3年前にそうなったのだと聞いた。それが残念な気がして憶えている。今でも残念だ。和裁は方程式のようなものだから、憶えていればずいぶん良かったと思う。祖母はお針が上手で、銀座の呉服屋にアルバイトで縫ってくれないかと言われた程である。お人形のキモノなど易々と縫ってくれたが、それを教えてもらおうという気が私にはこれっぽちも無かった。キモノを縫うことは母の代で切れていた。戦後少し経って日本は大消費者の時代になってしまったのだ。今、この幸田文の本を読めば、何を失って来たか良くわかる。ちょっと憂鬱な気分になっちゃったわ。