春光の運河の橋を渡りけり

寒いけど日射しは春めいて日も永くなった。明るい光の中で眼鏡掛けて掃除する。すごく汚れが目につく。年寄りの家が薄汚れて見えるのは実際に汚れているのだ。でも住んでいる方は目が悪くなっているのであまり気にならない。よくしたものだと思う。家のキレイを追求すればきりがないし、これで「キレイ」とする基準が同居人一同に徹底されるのはさらに難しい。猫という同居人は汚すだけだし。まーこれも修行かもしれない。白い電気スタンドの傘が汚れている。茶色っぽいシミも浮かんでいる。電気の傘は昔はデパートで積み重なって売られていたが最近は見ない。ネット探しても見当たらないので、捨てるくらいならと思って重曹で洗う。シミの所はブラシでこすってベランダに干しておいたら、すっかりきれいになった。なんという日常の幸福感。こんなことでは経済が浮上しないとかいわれるかもしれないが、今の年寄りは今持っているものだけで死ぬまで生きられるかも。それを前提に考えないとデフレから脱却はとても難しいと思う。ものを持つこと、買うことのありがたさはいやというほど判っているが、これからは手入れの時代ではないかしら。ものだけではなくアタマの中身もね。一億人が互助で生き延びて行くのは不可能ではないと思う。グローバルという言葉を錦の御旗に進む前に考えるべきではないだろうか。原発だって3基しか稼働していなくてもやっていけている。日本人が橋を渡りつつあるのは現実だと思う。