走り梅雨ちからあげたりもらったり

 被災地に有名人や芸能人が慰問に行って、インタビューを受けた被災者は「ちからをもらいました」とか言うんだけどなんだか違和感を感じる。リポビ○ンDとか一万円とかもらったほうが力が出ると私なら思う。今必要なものは収入と雇用だろう。避難所にいる10万人という人たちに何を提供するべきか。自分があの体育館の片隅にひとりぼっちになって座っている時になにが嬉しいだろう。するべきことと役割を探す事。掃除でも料理でも何かやらせていただきたい。それに対して対価を支払ってもらいたい。(義援金を使ったらどうかしら)特技があればそれを登録して仕事を回してほしい。避難所の隅にミシンを何台か置いたらどうだろう。編み棒と糸を提供すれば何か作れるだろう。刺し子のバッグとか、籠を編むとかやれる人いるに違いない。工賃が安くてもする仕事があれば明日の事が考えられる。人からもらうだけの存在になることは耐えられないと思う。モノではない。モノを手に入れる過程を取り戻す事が必要だと思う。
 う〜、何が出来るか聞かれて俳句って答えて季語集くれたら私は嬉しいだろうなー。避難所で句会するのも良いのではないかな。


  ママッて身の程知らずじゃないかしら。