何処からか仏心湧いてお盆かな

日経の春秋から。
「....今回、神道研究者から「寄(よ)さされた命」との言葉を教えられた。辞書に頼れば「神が人にお任せになった命」と解釈できる。本来の意味はもっと深遠で、現代語には直せないというが、命の重さ、尊さは訴えかけてくる。」

生まれてくる時に当事者である自分は何もしていない。オギャーと生まれて、そこに命と心がやってくる。そう思うとなんだか納得出来る気がする。その命と心をやり繰りして生きて行く。そして命はそのうち、その生を終えて、またどこかの「オギャー」に寄さされて行く。そうかしら?なんだかすごく判りやすすぎかしら。

蕨野行 (文春文庫)

蕨野行 (文春文庫)

この本読むとそんな感じ。姥捨てになった老人たちの話しで、今の高齢者行方不明と重ねてしまう。現実、姥捨ては都会の中でも行われていた、みたい。


これも京都のSさんに教えてもらったHP。チベット仏教の早稲田の先生なんだけど、オカメインコキチガイでもあって、歯に衣着せぬ文章で傑作です。
http://tibet.que.ne.jp/okamenomori/

チベット仏教に関する知識はぜんぜんナイので、いちいち興味深い。ダライラマの懐の深さを、もっと知りたい方、お読みください。(読むのは白雪姫と7人の小坊主たち、ってところですよ)オカメインコ好きは、ゼッタイ読むべし。


それで、彼女のブログを一気読みして、日本の仏教界ももっと深くなんなきゃ、と考えつつお墓参りに行き、ご本堂にもお参りに行こうとしたところを、坊守様に見つかり、仕事もいただいてしまった。これこそ仏様のお導きでありました。シンクロニティーってあるものですね。って、こんな散らかった文章、読んでてもわかんないと思うけど。