東横線で。


 電車の中でお化粧をするとか、ものを食べるとか、オーディオの音がうるさいとかいうのは、もはや日常風景となっている。一つの車両で携帯電話を見ていない人がいることなんか無い。だけど先日、わりと空いている東横線で隣に坐った70才くらいのおばさんが、おもむろに片っぽの靴を脱ぎ、その足を膝にのせて足首を手でつかんでクルクル回し出したのには驚いた。足がだるいかなにかで、すぐやめるのかと思ったら、足を替えて続ける。その替りばんこのローテーションを4回繰り返して電車を降りて行った。(この運動自体は足のむくみ解消には優れてるんですけどね)。70才の良識なんて期待してもダメなのだ。人間易きに流れるのだ。行儀なんか死語なんだ、と心底思った。要するに、電車の中って自宅の居間と同じなのね。いや、居間にお客さんがいたらそんなことしないから、寝室と同じなんだわ。電車の中が寝室と同じなら、そこに乗り合わせている人間はなんなんだろう?枕の団体なのか。 
 人間が営々として築いて来た社会生活を捨てて、社会を維持するためのエネルギーは、どんどんバーチャルな世界の中に吸い取られて行くようなイヤーな感じがしてならない。その結果の他人に対する無関心が充満している。それは自分自身にもいえることで、携帯が無いと電話番号もわからない。たいがいのことはメールで済ませてしまう。これでは場の空気を読むという能力が薄れるのは当然だと思う。しかし、今、社会が要求しているように人間は進むしかないから、情報革命という文明開化の真っただ中にいるわけだから、なんとか泳ぎきるしかない。その中で、せめて人が描く「絵」を通した情報が、人間の絆を取り戻すということを信じて進みたいと思うのだ。