国立新美術館探検

1月21日にオープンした、国立新美術館に行ってきました。
まず美術館のハコがリッパ。「新国立美術館」ではなくて「国立新美術館」と銘打ったのは、美術館の建物が新しい、という意味なのかと思っちゃう。黒川紀章設計。外観は波打ったガラスで囲まれ、エントランスロビーの吹き抜けも、東京フォーラムを思わせる高さ。バブルの再来といやでも感じる豪華さを堪能できる。冷暖房費を考えるとゾッとするが。まま、そんなに批判的になっちゃいけない、これから何十年何百年、美術の殿堂になるのだからしっかりやってほしい。しかし建築の個性が強過ぎないかなー。上野から六本木に移って来る、公募展の作品群もずいぶん違って見えるだろう。「歌舞伎座」で見る歌舞伎と「国立劇場」で見る歌舞伎は微妙に違って見えるように、建物の影響力は大きい。3階に人だかりがしているのが、見えたので、エスカレーターで上がってみた。何の展示かと思ったらレストランに並んでいるのだった。このハコなら、もっと大きな飲食のスペースが必要だと思う。「日展」の時なんかどうするんだろうと心配。
 さてオープニング企画展は「20世紀美術探検」と銘打ったもので、いやはやホントに探検でした。
セザンヌ静物画でスタートし、田中功起という作家の、私には「FLISK sharpens you up」のコマーシャルとしか思えないビデオアートで終わる。うううーん、20世紀って長かったのだなー、と思う。
 こんなことあまり書きたくないが、知らない作家がイッパイいたし「なんだこれは」という作品多数であった。壁にはめ込まれた、作品を掛けるためのレールを、作品だと思ってじーっと眺めたくらいであった。これは純然たる私の勘違いなのだが、そのコーナーには数枚の金属板が床に平行に壁から突き出している作品があって、同じ作家のものだと思ったのだ。
 入り口でもらった「アートのとびら」というカタログにはこう書かれている。

  • マルセル デュシャン「泉」(男性用便器を作品として提示した)の解説。-

(前略)
便器はアート。
そういう受け取り方もありなのです。
便器がアート。
だとしたら、アートに限界はないのです。
便器もアート。
ほら、アートの世界が広がるでしょう。
(後略)
 レールを作品だと思った私はアートの世界を広げたのね。そうなのね。そうなのよね。そうなのだ。この展覧会で現代美術は哲学だということがわかった。哲学とは「人間とは何か」という学問だと思う。アートは現状を知るカナリア、ともいわれる。つまり現状に対するテーゼまたはアンチテーゼと思えばよくわかる。工藤哲己の「イヨネスコの肖像」なんてイヨネスコがバラバラになっていて、いやでも最近の事件を思い出す。ある意味現実を先取りしている。コマーシャルフィルムとどう違うのかわからない作品は、やかましく同じ映像を繰り替えし見させられてそれで良し、としている日常生活へのアイロニーと思える。2時間近く見てまわりながら、この「アート」の作品群は私たちが毎日触れている「絵画」、モチーフとか色彩とか遠近法とかの延長線上にあるのであろうか?という問いは深く私の中に残った。
 帰り道、六本木通りに出る小路を歩く。私は小学校3年から就職するまでこの近くに住んでいた。道は変わらないが建物はすっかり変わっている。町そのものがインスタレーションなんだ。東京って。というのが今回の発見であった。
 現代美術は関心ないけど行ってみたいという方。入館料はいらないので2階の「日本の表現力」という、空いている秋葉原みたいな展示を見て、お茶するだけでもOKです。

注:インスタレーション:展示が行われる場所全体を作品として作り上げる手法で、1970年代から登場した。見る人は空間全体を一つの作品として体験する。(アートのとびらより)