生きる



 日曜日の朝、ブランチの用意をしながらチラチラテレ朝見てたら「共謀罪」のことを報じていた。その中で、20年ほど前に三宅島に米軍の夜間発着飛行場を建設することが決まり、島民はデモを行ってこれに対抗。非暴力を旨としたが機動隊が投入され逮捕者も出た。それでも粘り強く反対して結局政府が折れて飛行場は硫黄島につくられた。という経緯であった。そーいうデモも、デモをしようと相談しただけで「共謀罪」になってしまうと。なんで今、「共謀罪」なのか?こーいう法律ってよっぽど国民が政府を信頼している時じゃなきゃ賛成できるわけがない。財政赤字、年金、姉歯BSE、拉致、なにも解決してないではないか。というようなことを書くつもりではなかった。

 その三宅島に取材にいった記者が、ハウスで作物の手入れをしている女性に、避難生活から戻ってきて「おちつかれましたか?」と尋ねた。答えは「落ち着いたなんてものじゃありません」「野菜の世話ができることが有り難くて有難くて。」というものだった。噴火で長い間島から離れることを余儀なくされて、なんとか生活はできても、自分が生きている意味を強く欲して来た人間、というものがそこにいた。なんだか生きることの本質を見た思いがして、しみじみしてしまった。基本は「お役に立つこと」ですね。