数え日や黒豆きんとん鶏餅蕎麦

これから5日間で年越し蕎麦、御節、雑煮を食べなければならぬ。

年末の強迫観念。

今年は御節を頼まなかったのでツライ。

好きなもの買い揃えて重箱に詰めれば良いと思い、一度やって懲りた。

重箱にはぎっちり詰めないとさまにならない。

料理が動いてはダメなのよ。

で、今年は好きなものを大皿にパラパラ載せてすませるつもり。

形だけどす。

年の瀬に買ってよかったモノふたつ

加齢により耳が遠くなるのは避けられないようだが、そんな知ったこっちゃないと思っていた。しかし加齢から逃れることは出来ないのだった。

テレビの音が聴きづらくなって、骨伝導、肩掛けイアフォーンなど試したけどイマイチ。

そこでMIRAIというスピーカーを購入。

ポチった翌日到着。効果がなかったら30日間返品可、というので、きれいにきれいに箱を開ける。接続コードは2本。ひとつは TVのイアフォーンジャックに、もうひとつはコンセントに。

これだけのことで劇的に音がクリアに聞こえるようになった。バッテリー充電の必要が無いのが嬉しい。今まで音量を30くらいにしてたのが20で充分である。スゴイ発明ではなかろうか。日本の小さいメーカーであるところも嬉しい。音の波がヒダヒダに部屋に満ちていくところに秘密があるらしい。29700円で、一日80円と思えば満足。

 

もう一個はまな板磨きである。

自分の手入れが悪いのだけど立てかけて置く板の下方部分が黒ずんで汚い。10年くらい使っていて丁度良い大きさなので捨てるに忍びない。それでポチったまな板磨き。2個で六百円くらいだけど、スゴイ。握力無い人間なので、毎日2分くらいこすり続けたら汚れが気にならない程にきれいになった。もっと早く買えば良かった。

犬連れて散歩永遠の小春日

 

いつもの通勤路の坂道を下って大通りに出ると、お座りしている犬が目に飛び込んできた。

若い女性がその犬の落とし物を始末している。その雑種ぶりがすごい。中型犬で顔は柴犬を長くしたくらいの白黒ムラムラ柄で、体は茶黒白のまだら、しっぽの毛は長くてくるっと巻いている。一体何種類の犬の遺伝子が混じっているのだろう。その犬がもう全身で「すまない。」といっている。僕のXXXを掃除させちゃってホントにゴメンねという顔である。大駄犬であるがピンクグレイの服を着ている。可愛がられていることは明らかだ。心にポッと光が灯ったような気分になった。犬は素直に感情を表す。猫も犬のようではないが全身で飼い主に訴える。うちの猫は嫌いな餌のときは、これ見よがしに後ろ姿を見せつける。「うしろすがたのしぐれていくか」という山頭火の句をいつも思い出す。

 人間世界は、知識も感情もスマホに移行させて久しい。それにコロナが追い打ちをかけて、人恋しさが募るばかりである。感情を素直に表す機会が失われている。人類は進歩しようという飽くなき本能に導かれて発展し続けているのだと思うが、この方向で間違いないのだろうか。電車に乗れば8割の乗客がスマホを見ている。周りの人など気にしていない。人間は一人一人が星で、努力しないと他の星とわかりあえないと思うのだけど。今はその手段がスマホなのだ。これでいいのかと疑問を持った時、人は動物に救われる。小細工しない感情を思い出させてくれる。気持ちを揺さぶってくれるのが動物だけじゃなくて人間もそうあってほしい。この犬のことも文章書くくらいなら写真撮って載せればいいと言われるかもしれない。ネット上には可愛い動物の写真があふれ返っている。それは「あ、かわいい。」で終わってそれだけである。コラムのネタにはならないのだった。

吾亦紅猫の柩に投げ入れる  

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小伝馬町の猫のシェルターで子猫をもらい、帰宅して籠を開けたら、そそくさとソファの下に潜り込みまる1日出てこなかった。翌日の夜テレビを見ていると、すつと現れて手を伸ばし私の顔を舐め回した。「ここんちの子になるんだね。」というあいさつだった。あれから14年、十兵衛は逝ってしまった。抱いている私の目を薄緑の目で穴が開くほど見つめていた。リンパのがんと言われて2年半、よく頑張った。初めて猫を見送るわけじゃないのにこの無聊をいかにせむ。思い起こせば十兵衛の病気がわかったのとピアノを再開したのが同じ2年前の4月だった。私が練習していると側にいて、30分もすると、ゴハンにしろ、と鳴くのだった。その全然上達しないピアノでチャイコフスキーの「秋の歌」を弾く。センチメンタルで今の気分にぴったりである。チャイコフスキーって演歌っぽいのよね、というか演歌はチャイコフスキーの影響を受けていると思うのは私の独断である。子供の時に最初に聴いたLPレコードは「くるみ割り人形」だった。うちにあったくらいだから当時クラシックの入門曲としてポピュラーだったのではないだろうか。戦後多くの人が満州から引き揚げて来たのでロシア文化が近かった。ロシア料理の店、ロシア民謡酒場、子供のころよく連れていかれた。ステンカラージン、ボルガの舟歌なんかよく歌っていた。その哀切を帯びたメローディーは日本人作曲家に影響を与えたと思うのだがどうでしょう。チャイコフスキーロシア民謡はちがう、ま、そうなんだけど、ロシア人だから。

とにかくもう少し間違えないで弾けるようになって、気持ちの通じていた十兵衛に手向けたい。

虫カゴで檻をつくりて閉じこもる

 

 

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日々是好日にゃん。

 

コロナの日々。

もう4ヶ月以上になるのだわ。

1月には銀座のマツキヨに中国人観光客が押し寄せてマスクを大量買していた。

笑っていたら、全然買えなくなった。オフィスには311の時の買い置きがまだあったのでそれで凌いだ。
4
月、あれよあれよというまに外出自粛になり、画廊も休業した。その後毎日何をしていたのだろうか。とにかく1週間があっという間に過ぎていく。

 朝起きて、竹ヒゴを集めて一日中籠を編んで、寝る、という感じである。竹籠みたいに密ではなくて虫カゴかな。それを毎日積み上げて、もう100個以上になったもんね。積み上げて見上げれば梅雨空である。

 コロナの前は画廊のパーティーもあったのに。芝居やコンサートもあったのに。人が人と会えないというのが日常になるなんて。70も過ぎて、スタート地点は遥か遠く、ゴールが見えてきた時に自由に人に会えないというのは寂しいことだ。

 

ぐずぐずとしているうちに梅雨入かな

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片付けしてたら出て来た色紙。病を乗り越えて都々逸。カッコイイ。


高度な技術を持った小さな縫製工場がコロナで危機となった。

そこで医療用のオーバーオールを作る事にして何万枚とできるようになって

早速医療関係者が依頼に来ている、というのをテレビで見た。

夫が、政府が一括買い上げて配ればいいと言うが、反対。

だってマスクだってまだ来ないのだ。

今回のことで政府の管理運営能力に大きな?がついたと思う。

 グリーンカードを持っている知人にはアメリカから1200ドルの小切手が届いたそうである。

日本だって税金は引き落としになるのだから、やる気にさえなれば10 万円配るのは難しくないはずだ。

基本がなるべく払いたくない、というところに根ざしているように思う。

 そうだ、届いたマスクを役所で10万円で買ってくれればいい。捨てちゃった人、残念でした。

ゴールデンウイークコロナとともに過ぎにけり

 

 

休みのような休みでないような、モラトリアムな毎日であった。

いつも以上にスーパーに買い物に行った。

百均は大混雑であった。変な自粛だな~。

今週からは、時短で元の日常に戻る予定である。

今後の消費パターンはどうなるのだろうか。

銀座は消費をリードしている町であって、そこに存在意義がある。

そこのトップリーダーの百貨店が揃って全館休業しているので火が消えたようである。

本屋もその中で営業しているので、本を買いたくてもどうしようもない。

アマゾン一人勝ちになるのだ。インターネットが無い時代だったら、こんな風に全商店休業

みたいにならなかったのではないか?消費はネットでカバーできるので、このコロナが

リアルを殺すのかもしれない。でも今までのリアルとはなんなのか。それだって幻影じゃないか、と思うこともできる。

恐る恐る一歩踏み出す立夏かな

 

なんでフォントの大きさが変わるのか?ヤダヤダ。